【私がジーナ式を始めた理由】
私はいま生後二ヶ月の女児を、ジーナ式の育児方法を参考に育てています。
といっても厳密にではなく、ゆるジーナ。母子同室で布団で一緒に寝ていますし、スケジュールも該当する月齢よりひとつ手前のものを当てています(娘は誕生時2440グラムと小さめだったため)。搾乳もしていません。
ジーナ式の詳細についてはここでは割愛します。
ジーナ式をいざやりはじめると、わからないこと迷うことだらけ。
ネットを検索して、ずいぶん助けられました。が、とりわけ低月齢時の実践記録はなかなか見当たらなかったのも事実。同じように「ジーナ式」でここに辿り着かれた方に、少しでもお役に立てればと思います。
どうしてジーナ式をやろうと思ったのか。
ジーナの本は、出産前にざざっとですが一読していました。感想は、「そりゃーこれが出来たら理想だけどここまでストイックには無理だわ」。また、ネットの評判通りその読みにくさには笑ってしまいました。しかし赤ちゃんにとっての睡眠の大切さや睡眠のリズムを理解できたのはとてもためになったし、ディマンド・フィードと呼ばれるいわゆる日本の育児の慣習でもある「泣いたら抱っこ」や「添い乳」が時に赤ちゃんの夜泣きやぐずりを招くという論旨も、読んでいて納得できました。
話は少し逸れますが。
私は産前、母乳についてはまったく不勉強で、浅はかにも「産めば出るだろう」くらいにしか思っていませんでした。ところが私が出産した個人医院はミルク推奨の方針で、助産師さんもおらず授乳指導は看護師さん各々の微妙にみんな違うアドバイスのみ。私は入院中に母乳がほぼまったく出なかったのはもちろん、初乳を与えることもかないませんでした。出ないお乳を一生懸命吸う我が子の顔、そしてそのあとミルクを規定量無理やり飲ませ、苦しそうにしている様子を見ていたたまれなくなりました。
まぁ出るなら母乳で育てたいけど別に完全母乳には全然こだわらないわというスタンスだったのに、気持ちは「母乳で育てたい」へと変化していきました。退院後はすぐに授乳相談に走りマッサージを受け乳腺を開通させ、とにかく頻回授乳を指導されました。
一ヶ月検診まで、ミルクと混合で、一日に12〜3回授乳していました。
おかげで生後一ヶ月以降、完母に以降できるようになったのですが…
ここで本題に戻ります!
…赤ん坊が、一日グズり通し。
ずーっと抱っこを強いられる状態になってしまったのです。
ある休日。
その日も夫婦ふたりで赤子に振り回され、私は睡眠不足で殺気立ち、夫もなす術なくイライラ。ジーナ式のことはおっぱいに必死で見向きもしていませんでした。とにかく、おっぱいが足りないことが恐怖で泣く度に授乳。しかし、吸えば五分で寝落ち、寝たので降ろすと背中スイッチ作動。これがエンドレスで、娘が“今なんで泣いているかわからない”。夫にイライラを八つ当たり、そのとき夫から出た一言は
「そんなに辛いなら母乳やめたら?」
…あーあ、やっぱりうちにもきた、これが産後クライシスってやつの始まりね。
大げさですが、死んだ魚の目で力なく笑うしかない。
しばしの冷戦状態を経て、再度夫と話し合い、私がいま何がいちばん辛いって、娘が泣いている理由がわからないことだ、と伝えました。眠れないこと、自分の時間がないこと、おっぱいがなかなか出ないことはもちろん辛くはあるのですが、それ以上に。
泣いてる理由がわからないことから、その対処に確信が持てない。
いましているこれ(おっぱいなり抱っこでゆらゆらなり)が、数分後に娘を号泣から解放させるものなのかどうか、まったく見当がつかない。
これがなにより辛かったのです。
そこで私はジーナ式をとにかくまずは試してみることを決心しました。
ジーナ式の特徴は、ねんね=おっぱい(ミルク)の結びつきを切り離し、赤ちゃんに寝る時間、遊びの時間、おっぱい(ミルク)の時間を明確に区別して覚えてもらう、それにより生活のリズムを作ってあげることだと理解しています。スケジュールに沿わせることで、だんだん赤ちゃんが泣いている理由、赤ちゃんの要求がわかってきます。
夜通し寝てほしいというよりは、私はこの、「なんで泣いてるの!?」から解放されたいという一心でジーナ式を選択した次第です。